子どもの手が離れたとき、多くの人が同じ戸惑いを口にする。「これから自分は何をすればいいのだろう」という静かな問いだ。
子育てが一段落するとはどういうことか
保育園の送り迎え、授業参観、受験の付き添い。長い間、生活のほとんどが子どものリズムで組まれていた人は多い。
それが少しずつ手を離れていくと、時間が増えたはずなのに、むしろ何をしていいか分からなくなる瞬間がある。
例えば夕方5時、以前なら夕飯の支度で慌ただしかった時間に、ぽっかりと予定のない空白ができる。
その空白を埋めようとパートを増やしたり、新しい習い事を始めたりする人もいるが、しっくりこないまま終わることも少なくない。
たとえば、毎週末に子どもの部活の送迎をしていた父親は、送迎が終わった途端、休日の過ごし方が分からなくなったと話していた。
平日の朝、お弁当作りがなくなった途端、キッチンに立つ理由そのものが見つからなくなったという母親もいる。
長年繰り返してきた行動は、意識しなくても一日のリズムを作ってくれていた。そのリズムが消えると、時間の使い方だけでなく、自分の存在意義まで揺らいでしまうことがある。
これは怠惰ではなく、忙しさが知らず知らずのうちに自分の輪郭を描いてくれていたことに気づく瞬間でもある。
それは怠けているからではなく、長い間「子どものために動く自分」でいたぶん、「自分のために動く自分」の感覚が薄くなっていただけなのだと思う。
喪失感の正体は役割の空白
よく「空の巣症候群」と呼ばれる感覚がある。寂しさの正体をよく見てみると、子ども自体への寂しさだけでなく、役割を失った不安が混ざっていることが多い。
「お母さん」「お父さん」という役割に、知らず知らずのうちに自分の輪郭を預けていたからだ。
ある40代の女性は、子どもが大学で家を出た後、しばらく何に時間を使えばいいか分からず、テレビの前で一日が終わる日が続いたという。
彼女は「怠けている自分」を責めていたが、本当はただ、久しぶりに自分の動力源に向き合う準備が整っていなかっただけだった。
ママ友との集まりでも「子どもの話しかできなくなった自分」に気づいて驚いたという声をよく聞く。
職場でも「息子さんの受験はどうでした」と聞かれなくなった父親が、自分の居場所が急に軽くなったように感じたという話もある。
役割を介した関係が濃くなるほど、役割を外したときの自分がどんな人間だったか、見えにくくなっていくのだ。
役割に支えられた自信は確かに心強いが、その土台がなくなった瞬間に揺らぎやすいという弱さも併せ持っている。
役割は一時的に自分を支えてくれるが、役割がなくなったときに残るのは、もともと自分が何に力を感じる人間だったか、という問いである。
生まれ持った動力源は変わっていない
LifeFlowでは、人が生まれつき持っている「何に触れると力が湧くか」をコアと呼んでいる。愛・楽・個・智・徳・才の6つで、これは性格とは違い、生涯を通してほとんど変わらない。
子育てで忙しかった10年間、コアそのものが消えていたわけではなく、発揮する場所が子どもに向けられていただけなのだ。
例えば人との関わりに力が湧く「愛」のコアを持つ人は、子育て中は子どもとの関わりでその力を発揮していたかもしれない。
子育てが一段落した今、その同じ力を、地域の集まりや友人との時間、あるいは新しい仕事の中に向け直すことができる。
例えば、長く専業主婦だった女性が再び働き始めたとき、人と話すだけで元気が出る「愛」の動力源に気づき、接客の仕事を選んで生き生きと働き始めたという話がある。
知的な探究に力が湧く「智」のコアを持つ人が、子育て中に封印していた読書や勉強を再開し、数年後に資格取得へとつなげた例も少なくない。
コアは置き場所を変えても消えることはなく、むしろ違う舞台で試してみることで、改めてその存在を確認できることも多い。
探すべきは「新しい自分」ではなく、長い間子育てに重ねられていた「もとからある自分」を思い出すことに近い。
役割がなくなった後に残るのは、もともと自分が何に力を感じる人間だったか、という静かな問いだ。
子育ての経験はフィールドとして育っている
LifeFlowでは、コアをどう発揮するかの方向性をフィールドと呼び、革新・共鳴・継続・設計の4つに分けている。これは経験の中で育つものだ。
子育てという10年単位の経験は、実はこのフィールドを大きく育てていることが多い。
毎日同じリズムで食事と送り迎えを続けてきた人は、「継続」の力が自然と鍛えられているかもしれない。
反対に、子どもの個性に合わせて関わり方を工夫し続けてきた人は、「設計」や「共鳴」の力が育っている可能性がある。
PTAの役員を何年も引き受けてきた人は、人をまとめて物事を前に進める「設計」の力を、知らないうちに積み上げていることがある。
子どもの宿題につまずくたびに教え方を工夫してきた母親は、相手に合わせて伝え方を変える「共鳴」の力を、意識しないまま育てていたことに気づくことがある。
フィールドは一夜にして身につくものではなく、日々の小さな繰り返しの中でゆっくりと形になっていくものだからだ。
そしてこの力は子育ての現場だけで育つものではなく、仕事や趣味、地域の活動の中でも同じように積み重なっていく。
つまり子育てが一段落した今の自分は、以前と同じ動力源を持ちながらも、発揮の仕方は確実に育っているのだということを、まず認めてあげたい。
やることを減らすと見えてくるもの
フローレベルという考え方では、今どんな乗り方をしているかを「フロー」「解放」「ループ」「制約」の4段階で見る。これは点数ではなく、乗り方の質だ。
興味深いのは、この乗り方は時間が過ぎても自然には上がらず、むしろやることを減らしたときに上がりやすいという点である。
子育てで予定が常に埋まっていた時期は、言ってしまえば「ループ」や「制約」の乗り方になりやすい時期でもあった。
手が離れて予定が減った今こそ、あえて何かを足す前に、一度立ち止まって自分の動力源を確かめる好機かもしれない。
学び直しのために資格講座を申し込んだものの長続きしなかった人が、予定を思い切って半分に減らしたら、むしろ勉強が続くようになったという例もある。
家事代行サービスを思い切って使い、空いた時間に何を感じるかを観察した主婦が、自分でも忘れていた好奇心の存在に気づいたという話もある。
予定を減らすことに罪悪感を覚える人は多いが、空白は怠けではなく、自分を観察するための材料だと捉え直してみてもいい。
やることを増やして乗り方を変えようとするより、まず減らして自分の自然な動きを観察する方が、遠回りに見えて近道になることが多い。
例えばカレンダーを一週間真っ白にしてみて、何もない時間に自分が自然と手を伸ばすものを観察してみるのも一つの方法だ。
これからの一歩は動力源を知ることから
新しい習い事、資格の勉強、パートの時間を増やすこと。どれも悪くないが、動力源を知らないまま選ぶと、また空回りしてしまうことがある。
「智」のコアを持つ人が無理に人前での発信を始めても疲れるだけだし、「才」のコアを持つ人が黙々とした単純作業ばかりでは物足りなさが残る。
大切なのは、何をするかより先に、自分がどんな場で力が湧くのかを知ることだ。
50代で新しい資格を取り、思い切って働き方を変えた人の多くは、まず自分がどんな場で力が湧くのかを確かめてから動き出している。
診断を受けて初めて自分のコアを言葉にできた人が、漠然としていた焦りから解放され、次の一歩を落ち着いて選べるようになったという声もよく聞く。
この動力源への気づきは子育て後の節目に限らず、転職や引っ越しなど、人生の節目全般で同じように役立つ考え方でもある。
焦って何かを始めるよりも、自分の動力源という土台を確かめることが、遠回りに見えて実は一番確実な進み方なのだと思う。
子どもが巣立った後の時間は、長い子育てへのご褒美であると同時に、もう一度自分と向き合うための静かな余白でもある。
焦って何かを埋める前に、まずは自分の動力源を確かめることから始めてみてほしい。
この記事のまとめ
- 子育てが一段落すると、役割の空白から喪失感を覚えることがある
- 生まれ持った動力源(コア)は子育て中も変わらず存在していた
- 子育ての経験はフィールドとして確実に育っている
- 予定を減らすことで、自分本来の乗り方が見えてくる
- 次の一歩は、まず自分の動力源を知ることから始まる