「自分らしさって何だろう」と立ち止まる瞬間は、誰にでもあります。周りと比べて落ち込んだり、面接で答えに詰まったりしたとき、その問いはふいに顔を出します。この記事では、その戸惑いをどう受け止め直せばいいかを、LifeFlowの考え方から一緒に見ていきます。
「自分らしさ」がわからなくなるのはなぜか
自分らしさがわからなくなる背景には、たいてい「他人からの見え方」で自分を判断してしまう習慣があります。会議で発言が少ないと「消極的な人」と言われ、いつも忙しくしていると「頑張り屋」と評価される。そうした周囲の言葉を積み重ねるうちに、自分でも本当の自分がどれなのか掴めなくなっていきます。
転職活動で「あなたの強みは何ですか」と聞かれて言葉が出てこない、という相談は珍しくありません。実績はあるのに、それが自分の内側から出た力なのか、環境に合わせて演じてきた結果なのか、区別がつかないのです。この感覚は決して珍しいものではなく、多くの人が一度は通る道です。
学生時代、部活で目立つ成績を出した友人と自分を比べて、自分には何も無いと感じた経験がある人もいるでしょう。テストの点数や大会の結果という一つの物差しでしか自分を測っていないと、その物差しに合わない力は「無いもの」として扱われてしまいます。しかし力そのものが無いのではなく、測る場所が違っていただけということも多いのです。
SNSで他人の充実した日常を見て焦る、という経験もよくあります。誰かの「らしさ」が眩しく見えるほど、自分の輪郭がぼやけて見えることがあります。ですが、それは自分に何かが欠けているからではなく、比較の物差しそのものが自分に合っていないだけかもしれません。他人の物差しで測り続ける限り、自分らしさはいつまでも遠くにあるように感じられてしまいます。
「性格」と「動力源」は違う
「自分らしさ」を考えるとき、多くの人はまず性格診断を思い浮かべます。しかし性格は経験や環境によって変わっていくものです。学生時代は控えめだった人が、仕事で人前に立つ機会を重ねるうちに堂々と話せるようになる、というのはよくある変化です。
一方でLifeFlowが見ているのは、性格よりも奥にある「動力源」です。これは生年月日から決まり、生涯変わらないもので、愛・楽・個・智・徳・才という6つに分けて捉えます。性格が服のように着替わっていくのに対し、動力源はその人が生まれつき持っている体温のようなものだといえます。
例えば、明るく社交的に振る舞える人でも、実は一人で黙々と考え事をしているときに一番力が湧く、ということがあります。周りからは「にぎやかな人」と見られていても、本人の動力源は静かな集中にあるのかもしれません。性格の見え方と動力源は、必ずしも一致しないのです。
学校で子どもたちを笑わせるのが得意な先生が、家に帰ると誰とも話さずに一人で過ごす時間を何より大切にしている、という話をよく聞きます。教室での姿だけを見れば「にぎやかで社交的な人」に見えますが、本人が本当に力を蓄えているのは静かな時間だったりします。性格は場面によって形を変えますが、その奥にある動力源は場面が変わっても同じ場所にとどまり続けます。
フィールドという「発揮の方向」
動力源が同じでも、その力の発揮の仕方は人によって違います。LifeFlowではこれを「フィールド」と呼び、革新・共鳴・継続・設計という4つの方向で捉えます。フィールドは経験の中で育っていくもので、動力源とセットで見ることで、その人らしい発揮の形が見えてきます。
例えば動力源が「智」の人が二人いても、一人は新しい発想をどんどん生み出す方向に力を使い、もう一人はその発想を仕組みとして整理し設計する方向に力を使うことがあります。同じ動力源から出発しても、行き先が違えば周囲から見える印象はまるで異なります。
営業の現場でも、同じチームの中に、初対面の相手とすぐに打ち解けて契約を決めてしまう人と、時間をかけて信頼を積み上げ長期的な関係を築く人がいます。前者は場を動かす方向に力が向き、後者は関係を継続させる方向に力が向いていると考えると、両者の違いが競争ではなく役割分担として見えてきます。マネジメントの立場からすれば、この違いを理解しているだけで、適材適所の配置がずっとしやすくなります。
職場でも「アイデア出しは得意だが仕組み作りは苦手」という人と、「新しい発想はないが、決めたことをきっちり整える人」がいます。どちらが優れているという話ではなく、動力源とフィールドの組み合わせによって、自然と役割が分かれていくということです。
フローという手がかり
「自分らしさ」を探すヒントになるのが、時間を忘れて夢中になれる「フロー」の状態です。フローは内発的な動機、つまり「やりたいからやっている」という感覚が鍵になります。誰かに評価されるためではなく、ただそれに触れていたいという状態です。
子どもの頃に何をしていたかを思い出すと、この手がかりが見えやすくなります。ブロックを何時間も組み立てていた子、絵を描き続けていた子、友達の輪の中心で話をまとめていた子。それぞれの過去の姿には、今の動力源につながる痕跡が残っています。
大人になってからも、仕事中にふと時間を忘れる瞬間があります。資料作りに没頭してしまう人、人と話しているうちに気づいたら一時間経っていた人。その瞬間こそが、動力源が自然に発揮されているサインだと考えられます。
ここで注意したいのは、給与や評価といった外側からの報酬とフローは別物だという点です。表計算の数字を整えているときに時間を忘れる人もいれば、後輩に何かを教えているときに時間を忘れる人もいます。どちらも「褒められたいから」ではなく「やっていて心地いいから」続いているという点が共通しており、その内側からの感覚こそが動力源のありかを教えてくれます。
日常のエピソードから考える
子育ての場面でも、この違いはよく見られます。同じ絵本を読んでも、じっと聞き入る子と、途中で自分の考えを話し始める子がいます。前者は物語の世界に共鳴する力が強く、後者は自分の考えを外に出すことに力が湧くタイプかもしれません。
職場の会議でも、活発にアイデアを出す人と、静かに聞いてから的確にまとめる人がいます。どちらも「会議に貢献している」ことに違いはありませんが、力の使い方が違うだけです。この違いを「積極性の差」と捉えてしまうと、静かなタイプの人は自信を失いやすくなります。
兄弟姉妹でも、同じ家族旅行の思い出を語るときに違いが出ます。一人は楽しかった出来事を次々と話し続け、もう一人は写真を見返しながらじっくりと当時の気持ちを語ります。同じ体験をしていても、力の出し方が違うだけで、どちらの語り方が正しいということはありません。この違いに気づかずにいると、家族の中でも「話が長い」「反応が薄い」といった誤解が生まれやすくなります。
夫婦や友人関係でも、同じ出来事に対する反応の違いに気づくことがあります。一方は感情を共有することで満たされ、もう一方は問題を整理し解決策を考えることで安心します。どちらも思いやりの形であり、優劣ではなく方向の違いなのです。
「自分らしさ」を探すのではなく気づく
ここまで見てきたように、「自分らしさ」は新しく作り上げるものではなく、もともと持っている動力源にもう一度気づき直す作業だと言えます。性格のように変化するものと、生涯変わらない動力源を分けて考えるだけで、自分への見方が少し変わってきます。
実際に診断を受けた人の中には、「なんとなく感じていたことに言葉がついた」と話す方が多くいます。特別な発見ではなく、これまで違和感として感じていたものが、はっきりした輪郭を持って戻ってくる感覚です。
転職を機に自分の適性を見直したいと診断を受けた人が、これまで「地味だ」と感じていた自分の粘り強さこそが動力源そのものだったと気づき、肩の力が抜けたように楽になった、という話を聞くことがあります。何かを新しく身につけたわけではなく、もともとあったものの名前がわかっただけなのに、その効果は思いのほか大きいものです。
「自分らしさ」がわからないという戸惑いは、探し方の方向が少しずれていたことのサインかもしれません。性格やまわりの評価ではなく、自分の動力源に静かに目を向けてみることから、また歩き出せるように思います。
- 「自分らしさがわからない」は、他人の評価軸で自分を見てしまうことから生まれやすい
- 性格は経験で変わるが、動力源(コア)は生涯変わらない土台である
- 同じ動力源でも、フィールド(発揮の方向)によって見え方はまったく異なる
- 時間を忘れて夢中になれる「フロー」の記憶が、動力源に気づく手がかりになる
- 自分らしさは新しく作るものではなく、もとから持つ動力源にもう一度気づき直すことである
