夏がいつ秋になったのか、誰も言い当てられません。境目はないのに、振り返れば確かに変わっている。人生の流れも同じで、変わる瞬間ではなく、気づいたときにはもう変わっているのかもしれません。
季節が変わる日を、誰も言い当てられない
9月のある日、急に秋になったわけではありません。暑さの中に少しずつ涼しい風が混じり、ある朝ふと「もう秋だな」と気づくだけです。
その境目を指させる人はいません。夏と秋の間には、線ではなく、ゆるやかな重なりがあるだけです。
人生の流れにも、同じことが言えます。ある日を境に人が変わることは、実はほとんどありません。
40代の営業職の男性がいます。3年前は毎晩帰りが遅く、休日も仕事の連絡に追われていました。今は定時で帰る日が増え、家族との夕食を大事にしています。本人に「いつから変わったんですか」と聞いても、はっきりとは答えられません。
子育て中の母親にも似た経験があります。毎晩同じように寝かしつけていたはずが、ある日子どもが自分で布団に入るようになっていて驚くのです。
新しく入った社員にも同じことが起こります。最初はオフィスの空気に慣れず戸惑っていたのに、半年後には自然に振る舞えるようになっています。本人もいつ慣れたのか説明できません。
変化は一枚の写真では写らず、何枚も重ねて初めて動きが見えてくるものです。だからこそ、区切りを探すより、重なりを眺めるほうが自然に受け止められます。変化を感じ取るのは、目の前の一瞬ではなく、記憶の中の比較です。
「今年も変わらなかった」という感覚の正体
年末になると「今年も何も変わらなかった」とつぶやく人がいます。けれどそれは、変化がなかったのではなく、1年という単位では差が小さすぎて見えないだけかもしれません。
30代の女性がいます。子どもが生まれてから3年、育児と仕事の両立に追われる毎日で、去年と今年の違いを感じたことはありませんでした。
しかしふと3年前の自分を思い出すと、当時は子どもの機嫌ひとつで一日中気を張っていたのに、今は少し余裕を持って受け止められる自分がいます。
資格の勉強をしている20代の会社員も同じです。1年前のテキストを読み返すと、「こんなに分からなかったのか」と驚くことがあります。
外国語を学ぶ人にも同じことが起きます。単語ひとつひとつの上達は感じにくくても、1年前は聞き取れなかった会話が、今は自然に理解できることがあります。
健康のためにジョギングを続ける男性もいます。半年では体重の変化をほとんど感じられませんでしたが、1年前に撮った写真と見比べると、体つきの違いに自分で驚いたそうです。
比べる相手を「去年の自分」ではなく「3年前の自分」に変えるだけで、見えなかった変化が急に姿を現します。小さな変化は気づかれないまま積み重なり、ある日まとめて姿を見せるのです。
巡ってくるもの——12年で一巡する流れ
LifeFlowには、12年でひとつの流れが一巡するという見方があります。この流れは自分で動かすものではなく、季節のように巡ってくるものです。
50代の自営業の男性がいます。ある時期は新しい取引先が次々と増え、事業が広がっていきました。別の時期には、無理に広げず、今ある顧客との関係を深めることに時間を使いました。
本人はそのつど「今はこういう流れなんだろう」と受け止めて、時期に合わせてやり方を変えてきました。流れを無理に押し返そうとはしませんでした。
趣味で陶芸を続ける女性も同じです。ある時期は新しい技法に次々と挑戦し、別の時期は同じ形をひたすら作り込むことに専念しました。どちらの時期も、本人にとっては自然な選択でした。
農業を営む家族にも似た波があります。ある年は新しい作物に挑戦し、別の年は土づくりに専念する。天候に合わせて選ぶのと同じ感覚です。
巡ってくるものに対しては、動かそうとするより、合わせるほうが力を使わずに済みます。季節に合わせて服を変えるのと同じ感覚です。流れを読み違えると、伸ばすべき時期に守りに入ったり、守るべき時期に無理に広げたりしてしまいます。
3年続く「内観期」は、止まる時期ではない
12年の流れの中には、3年ほど続けてやってくる時期があります。外へ広げるより、内側へ向く時期です。これを内観期と呼びます。
3年という長さは、体感としてかなり長く感じられます。だから「自分は止まっている」と受け取ってしまう人が少なくありません。
20代の会社員がいます。チームのリーダーに手を挙げず、目立つ動きもしないまま3年が過ぎ、「同期に置いていかれた」と感じていました。
けれどその3年で、彼は自分がどんな仕事に力が湧くのかをじっくり見極めていました。合わない仕事を断る判断ができるようになったのも、この期間があったからです。
伝統工芸の職人にも、同じ形をひたすら作り続ける時期があります。傍目には停滞に見えても、本人の中では手が覚えていく大事な過程です。
受験勉強中の学生にも同じことが起こります。模試の成績が伸び悩む時期でも、実は解き方の土台を静かに作っていることが多く、結果は少し遅れて現れます。焦って外へ広げようとすると、土台が整わないまま動くことになり、後で揺り戻しが来やすくなります。
止まっているのではなく、絞り、選び、磨いている。内観期はそういう時期です。
待っても変わらないもの——フローレベル
一方で、時間が経っても変わらないものもあります。LifeFlowでは、今どう流れに乗れているかを4段階で見るフローレベルという考え方があります。
「フロー」は自由に選んで進める状態、「解放」は決めて引き受ける状態、「ループ」はやるけれど決めていない状態、「制約」は言うけれどやらない状態です。
同じ職場に10年いる人が2人いたとして、片方は毎年新しい役割を引き受けて成長し、もう片方は10年前と同じ愚痴を言い続けている、ということが実際にあります。
夫婦の間でも似た違いが見られます。一方は家事の分担を定期的に見直して快適さを更新し続け、もう一方は同じ不満を何年も口にするだけで、やり方を変えようとしません。
スポーツの指導者にも違いが見られます。同じ経験年数でも、毎年練習メニューを見直す人と、昔と同じ方法を繰り返すだけの人とでは、選手の伸び方が変わってきます。
この違いは在籍年数では説明できません。フローレベルは、時間では上がらないからです。段階の違いは能力の差ではなく、選び直しているかどうかの差です。ただし一度身についた乗り方は簡単には消えず、途中で落ちても戻れます。
見分け方は「自分の手が届くかどうか」
この二つを取り違えると、待つべきときに焦り、動くべきときに待ってしまいます。どちらも消耗する動き方です。
30代の女性は、内観期の最中に「早く結果を出さなければ」と焦って転職を決め、後になって「あの3年は準備の時間だったのかもしれない」と振り返りました。
反対に40代の男性は、フローレベルが変わらないことに気づかず、「そのうち状況が変わるだろう」と何年も同じ働き方を続けていました。
進路に迷う学生も同じ場面に立たされます。周りの流れに合わせるべき時期なのか、自分の意志で選び直すべき時期なのかを見誤ると、努力の方向がずれてしまいます。
子育てのグループでも同じ場面があります。周囲のやり方に合わせるべき時期と、自分なりの方法を選び直すべき時期を混同すると、無理な比較で疲れてしまいます。
見分け方はひとつです。自分の手が届くかどうか。届かないものは合わせ、届くものは自分で動かす。焦りは待つべき時に動こうとするところから生まれ、諦めは動けるはずの場面で待ち続けるところから生まれます。
そしてその線を引くための一番の手がかりが、自分の動力源、つまりコアを知ることです。何に触れると力が湧くかが分かれば、動くべき場面も自然と見えてきます。
この記事のまとめ
- 変化には境目がなく、気づいたときにはもう変わっている
- 1年では差が見えないだけで、変化がないわけではない
- 12年で一巡する流れは自分では動かせず、合わせるものである
- 3年続く内観期は止まる時期ではなく、絞り選び磨く時期
- フローレベルは時間では上がらず、やることを減らした時に変わる