「今度やりましょう」「タイミングが合えば」。悪気なく口にしているその言葉が、実はうまくいかなさの入口になっていることがあります。
「今度飲みましょう」が口ぐせになっていないか
40代の営業職の男性は、取引先との別れ際にほぼ毎回「今度飲みましょう」と言う。本人に聞くと、半分くらいは社交辞令だと笑う。
でも困ったことに、相手が本気にして連絡してくると、なんとなく気が重くなり、返信を先延ばしにしてしまう。結局その話は立ち消えになる。
30代の主婦にも似た場面がある。ママ友のランチの誘いに「行けたら行くね」と返す。本音では気が進まないが、はっきり断るのも気まずい。
20代の会社員は、自分自身にも同じ言葉を使っている。「いつか英語をやる」と何年も言い続けているが、教材は本棚で眠ったままだ。
職場の会議でも「前向きに検討します」という一言が飛び交う。実際には検討する気がなくても、その場を丸く収めるために口にしている人は多い。
こうして並べてみると、誰にでも身に覚えのある景色ではないだろうか。社交辞令は特別な人だけの癖ではなく、日常のあちこちに紛れ込んでいる。
社交辞令そのものは悪くない
ここで最初にはっきりさせておきたいことがある。社交辞令自体は、悪いものではない。
その場の空気をなめらかにしたり、相手を傷つけずに距離を保ったりする、いわば潤滑油のような役割がある。それを完全になくす必要はない。
問題なのは、本当はやる気がないのに「今度やります」「またぜひ」と、やる可能性を残す言葉を使い続けることだ。
可能性を残す言葉は、その場では便利でも、後になって自分の首を絞めることがある。約束したはずなのに動けない、という状態を自分で作ってしまう。
50代で自営業を営む男性は、資金繰りの相談を受けるたびに「また今度検討します」と答える癖がある。相手は待っているが、本人の中では最初から答えは出ていた。
この男性のように、社交辞令が便利であるほど、それに頼る回数は増えていく。便利さの裏で、決断そのものを避ける習慣が静かに育っていく。
本音・言葉・行動がバラバラになる景色
本心では「やらない」と思っているのに、言葉では「やりたい」と言う。すると、本音と言葉と行動の三つが、少しずつずれていく。
先ほどの営業職の男性を思い出してほしい。本音は「今回は行きたくない」、言葉は「今度飲みましょう」、行動は「連絡が来ても既読無視」。三つがバラバラだ。
ママ友の誘いに「行けたら行くね」と答えた主婦も同じ構造を抱えている。本音は「今回はパス」、言葉は「行くかもしれない」、行動は「直前に体調不良と伝える」。
「いつか英語をやる」と言い続ける会社員は、自分自身に対して社交辞令を使っている。本音は今やる気がない、言葉は「やりたい」、行動は教材を開かない、というずれだ。
夫婦の間でも同じことが起きる。「今度ちゃんと話そう」と言いながら、実際には話し合いを避け続けるうちに、小さなすれ違いが積み重なっていく。
こうしたずれが積み重なると、周りの人はその人の言葉を信じにくくなる。本人も、自分の言葉に自分で振り回されるようになる。いわば、全部が少しずつ嘘のやりとりになっている。
やりたいなら、やる。やりたくないなら、やらない。今じゃないなら、今はやらないと決める。
うまくいく人は3つが一致している
不思議なことに、うまくいっている人ほど、この使い分けが単純だ。やりたいなら、やる。やりたくないなら、やらない。今じゃないなら、今はやらないと決める。
先の自営業の男性が、もし「今回は見送ります」とはっきり伝えていたら、相手も次の手を早く打てただろう。曖昧にしたことで、双方の時間が止まってしまった。
子育ての場面でも同じことが起きる。子どもに「あとでやろうね」を繰り返す親と、「今日はやらない、明日の朝やろう」と決める親とでは、子どもの受け取り方がまるで違う。
学び直しをしている40代の女性は、資格の勉強を「今週は仕事が忙しいから、来週から本気でやる」と自分に言い聞かせていたが、来週になっても同じ台詞を繰り返していた。
フリーランスで働く30代のデザイナーは、依頼が来るたびに「やれそうならやります」と答えていたが、ある案件で初めて「今回は受けません」と断ったところ、次の依頼がむしろ早く決まるようになったという。
ある時「今月は勉強しない」と決めてしまったところ、不思議と気持ちが軽くなり、翌月からは迷わず机に向かえるようになったという。はっきり決めることが、次の一歩を軽くする。
曖昧な返事は決断の先送りにすぎない
曖昧な返事を続けるのは、実は決断を先送りしているだけだ。決めなければ行動は生まれず、行動しなければ流れも生まれない。
「タイミングが合えば」という言葉は、一見やわらかいが、中身は「今は決めたくない」という気持ちの引き延ばしであることが多い。
お金の相談を先延ばしにした自営業の男性の例も、実は決断そのものを避けていた。断る決断も、進める決断も、どちらもしていなかったのだ。
決断を先送りしている間、周りの状況は動き続ける。取引先は別の相手を探し始め、ママ友は別の友人とランチに行くようになる。
転職活動をしていた20代の男性は、複数の企業から返事を求められても「少し考えます」を繰り返した結果、気づけばどの選択肢も締め切りを過ぎていた。決めなかったことが、選ばなかったことと同じ結果を生んでいた。
本人だけが、決めていないつもりで、実は「やらない」という選択を静かに続けていることに気づいていない。
言葉を変えることが流れを変える第一歩になる
だから、うまくいく第一歩は、自分の本音と言葉と行動を一致させることにある。「いつか」「きっと」「タイミングが合えば」を減らすだけでも、流れは変わり始める。
これは、フローレベルという考え方で見ると分かりやすい。いちばん下の段は、言うけれどやらない状態だ。言葉だけが先に進み、行動が追いつかない。
そこから一段上がるのは、決めて、引き受けることだ。社交辞令を減らし、はっきり返事をすることは、その第一歩にあたる。
今どの段にいるかは、優劣の話ではない。多くの人が、状況によって上がったり下がったりしながら過ごしている。
たとえば毎朝のジョギングを「気が向いたらやる」から「週に三回、決めた曜日にやる」に変えただけで、続く日数が明らかに増えたという声もある。小さな言葉の変化が、行動の積み重ねを変えていく。
この連載では、この四つの段階を順に見ていく。まずは自分の言葉遣いを振り返るところから始めてみるとよいかもしれない。そしてその奥には、そもそも自分が何にやる気を感じ、何には感じないのかという、生まれ持った動力源の話がある。それを知ることが、曖昧さを減らす一番の近道になる。
この記事のまとめ
- 社交辞令自体は悪くないが、やる気がないのに可能性を残す言葉を使い続けると、本音・言葉・行動がずれていく。
- 「今度飲みましょう」「行けたら行くね」「いつかやる」は、日常の中で誰にでも起こりうる小さなずれの例。
- うまくいく人は、やりたいならやる、やりたくないならやらない、今じゃないなら今はやらないと決めている。
- 曖昧な返事は決断の先送りであり、決めなければ行動も流れも生まれない。
- 言葉を一致させることは、フローレベルでいちばん下の段から一段上がる第一歩になる。