「やりたいことだけで生きている」と聞くと、特別に恵まれた誰かの話に聞こえるかもしれない。でも実際にそういう人を近くで見ていくと、意外と地味な暮らしをしていることが多い。今回は、いちばん上の段階にある人たちの共通点を、具体的な場面から見ていく。
「やりたいことだけ」という言葉の誤解
この言葉を聞くと、好きなことだけやって、嫌なことは全部人に押しつけている人を想像する人がいる。あるいは、お金の心配がない特別な立場の人だけの話だと感じる人もいるだろう。けれど実際に自由に選べている人たちを見ていくと、そういうイメージとはずいぶん違う。
むしろ静かに、必要なことは淡々とやっている。ただ、その中に無理がない。やりたくないことを歯を食いしばって続けている感じがなく、日々の負担感が全体的に軽い。これは性格の問題ではなく、選べる範囲がどれくらいあるかという状態の話だ。
たとえば50代の女性は、長年勤めた会社を辞めて今は週3日だけ地域の子ども向け教室を手伝っている。収入は会社員時代より減ったが、本人は「減った分、気持ちの負担がほとんどなくなった」と話す。やりたいことだけ、というのは派手さの話ではなく、こういう静かな軽さの話なのだと思う。
たとえば大学生のアルバイトでも、同じようなことが起きる。授業やサークルより自分がやりたい研究に時間を使うようになった学生は、忙しさは変わらなくても疲れ方が軽くなったと話す。この軽さの正体は、我慢の量が減ったことにある。
自由に選べるとは、具体的にどういうことか
自由に選べている状態というのは、仕事・時間・お金・人間関係のそれぞれで、自分の意思が反映されているということだ。仕事は、やりたい仕事を選び、やりたくない仕事は断れる。時間は、誰かに強制されるスケジュールではなく、自分でリズムを組める。
お金は、必要なものを持ちつつ、それに縛られていない。人間関係は、無理して合わせる相手が少なく、心地よい距離で人とつながっている。この4つがそろってくると、慢性的なストレスがぐっと減る。日々の中で「今日も疲れた」という重さが減っていく感覚だ。
特に大きいのは、断ることに罪悪感がなくなることだ。「それはやりません」「今は必要ないです」と言える。この一言が言えるかどうかで、日々の負担はまったく違ってくる。断れない人は、頼まれごとが積み重なって、自分の時間がどんどん削られていく。
友人づきあいでも同じことが起きる。誘われた集まりをすべて断れなかった人が、本当に行きたい場だけに絞ってみると、周囲もそれを自然に受け入れてくれるようになった。4つの領域は互いに影響し合い、一つが整うと他も少しずつ動き出す。
仕事と家庭で見えてくる姿
40代の営業職の男性は、以前は上司から振られる案件を断れず、休日も対応に追われていた。今は担当の範囲を自分から会社に提案し、無理な案件は他のメンバーに回してもらうようにした。数字は少し落ちたが、成約率は上がり、評価はむしろ良くなった。本人は「引き受ける量を決めたら、逆に成果が出た」と話す。
家庭では、30代の主婦が、家事の分担を夫と話し合い、自分が苦手な料理の一部を外注に切り替えた。最初は「手抜きだと思われないか」と気にしていたが、実際にやってみると家の雰囲気が明るくなった。無理をやめたことで、家族との時間の質が上がったという。
どちらの例にも共通しているのは、全部を自分でやろうとするのをやめたことだ。仕事も家庭も、抱え込む量を減らした結果、自分がいなくても回る部分が増えた。休んでも大きく崩れない状態は、こうして少しずつ作られていく。
子育て中の母親が、毎年引き受けていた役員の仕事を断り、得意な部分だけを担当するようにしたところ、負担は減ったのに評価はむしろ上がったという例もある。抱え込みをやめることには最初は不安がつきまとうが、実際にはその心配が杞憂に終わることが多い。
お金と学びの場面から
フリーランスのデザイナーの女性は、独立当初は依頼を断れず、割の合わない仕事も引き受けていた。今は単価と内容を自分で決め、合わない案件はきちんと断る。収入は安定し、断ることへの罪悪感も薄れたという。お金の自由とは、金額そのものより「選べる」という感覚に近い。
定年後の男性は、退職後に地域の講座で学び直しを始めた。若い頃は資格取得のためだけに勉強していたが、今は純粋に興味のあることだけを学んでいる。試験もノルマもない学びは、疲れるどころかむしろ元気が出ると本人は笑う。
人間関係でも同じことが起きる。無理に合わせていた集まりから距離を置き、気の合う数人とだけ深く付き合うようになった人は多い。数が減っても、満足度はむしろ上がる。自由に選べる状態は、こうして生活のあらゆる場面に少しずつ広がっていく。
趣味の写真を続ける60代の男性は、コンテスト入賞のためではなく、気に入った風景だけを撮るようになってから、以前より熱心にカメラを持ち歩くようになったという。お金や学びの自由とは、目的を自分の内側に取り戻すことに近い。
自由に選べる状態は、特別な人だけのものではない。順番に上がってきた先に、静かに現れる段階だ。
特別な人の話ではない
ここまでの例を見て、うらやましいと感じた人もいるかもしれない。でも大事なのは、この人たちが最初から自由だったわけではないということだ。営業職の男性も、フリーランスの女性も、以前は断れずに疲れていた時期がある。
この連載では4つの段階を順に見てきたが、いちばん上の段は、下の段を経験したからこそたどり着ける場所だ。決めずに流されていた時期、決めて引き受けていた時期、そういう積み重ねの先に、選べる自由が生まれてくる。
つまり、今どこにいても、そこは通過点でしかない。今すぐ全部を選べる必要はないし、今の忙しさや不自由さは、この先の土台になっているとも言える。焦って追いつこうとしなくていい。
フリーランスのデザイナーの女性も、独立当初は断れずに疲弊した時期を経て、今の働き方にたどり着いている。下の段階で身につけた工夫や我慢は、上の段階に立ったときの判断材料になっていく。
落ちることはある、それでも戻れる
正直に言うと、この自由な段階に入った人でも、忙しさや環境の変化で一時的に元に戻ることがある。子どもが生まれて時間の自由が減ったり、部署異動で断りにくい立場になったりすることは普通にある。
それでも、一度この乗り方を知っている人は、時間が経てば自然と戻れる。何をどう減らせば軽くなるかを、体で覚えているからだ。一方で、一度もこの感覚を知らない人は、忙しさの中でどこを削ればいいのか分からず、ずっと苦しいままになりやすい。
この違いを生んでいるのは、根性でも運でもなく、自分がどこに力を注ぐと軽くなるかを知っているかどうかだ。それはつまり、自分の動力源を知っているかどうかということでもある。何に触れると力が湧き、何が負担になるのかが分かっていれば、乗り直す道筋は見えてくる。
育休明けにしばらく忙しさに流されていた女性も、半年ほど経つと以前のように仕事の量を自分で調整できるようになったという。一度も選べる感覚を経験していない人は、どこを削ればいいのか見当がつかず、忙しさの中で苦しみ続けやすい。
この記事のまとめ
- やりたいことだけで生きている人は、仕事・時間・お金・人間関係を自分で選べている
- 断ることに罪悪感がなく、自分がいなくても回る仕組みができている
- この段階は特別な人だけのものではなく、順番に積み重ねた先にある
- 忙しさで一時的に落ちることはあるが、乗り方を知っていれば戻れる
- その戻り方の鍵になるのが、自分の動力源を知ることである