履歴書の職歴欄を見て、また転職してしまったと肩を落とした経験はないだろうか。根気がないのではと自分を責める前に、少しだけ視点を変えてみたい記事です。

転職を繰り返す自分を、どう見るか

転職が二度、三度と続くと、周囲からも自分自身からも「続かない人」というレッテルを貼られがちになる。面接で理由を聞かれるたびに、うまく説明できない気まずさを抱えている人も多いだろう。しかし転職を繰り返すことそのものが問題なのではなく、繰り返しの奥にある違和感の正体に気づけていないことのほうが本当の課題かもしれない。

たとえば営業職として就職したものの半年で辞め、次は企画職に移ったがまた一年で辞めてしまう、というケースを考えてみる。本人は「向いていなかった」としか説明できないが、実は職種の違いではなく、もっと根っこにある部分でつまずいている可能性がある。それが今回取り上げたい「動力源」という考え方である。

たとえば友人に相談すると、「石の上にも三年」という言葉で片付けられてしまうことも多い。だが我慢すればするほど良い結果につながるとは限らず、むしろ違和感を放置することでモチベーションだけが静かに削られていく場合もある。大切なのは我慢の量ではなく、その我慢が何のための我慢なのかを見極めることだろう。

動力源とは、何に触れたときに自分の中から自然に力が湧いてくるか、という生まれ持った傾向のことを指す。性格診断のように後天的に変わるものではなく、生年月日から導かれ、生涯を通じて土台になり続けるものだ。この動力源とずれた場所で働き続けると、能力があっても消耗だけが積み重なっていく。

同じ違和感が、形を変えて繰り返される理由

転職を繰り返す人の話をよく聞くと、業種や職種はまったく違うのに、辞める理由の輪郭が驚くほど似ていることがある。「裁量がなくて息苦しかった」「人と話す時間がなくて虚しかった」「変化がなく退屈だった」など、表現は違っても根はひとつであることが多い。環境を変えても、その根本のずれを見つけない限り、同じ疲れ方が形を変えて戻ってくる。

ある人は、大企業の安定した部署から、成長中のベンチャーへ、さらにフリーランスへと働き方を変えていった。傍から見れば挑戦的なキャリアに映るが、本人としては「毎回、最初の高揚感がしぼんでいく感覚」に悩まされ続けていたという。仕組みが整った瞬間にやる気を失う自分に気づいたとき、初めて自分の動力源の話にたどり着いた。

友人や家族に相談しても、「甘えているだけでは」と言われてしまい、余計に自分を責めてしまう人も少なくない。しかし本人にとっては真剣な違和感であり、単なるわがままとは違う。表面的な理由の奥にある共通点を探ることが、次の職場選びの手がかりになる。

環境要因を変えることは悪いことではないが、それだけでは根本的な解決にならない場合がある。転職のたびに「今度こそ」と期待しては同じところでつまずくのは、性格の弱さではなく、自分の動力源をまだ言語化できていないだけのことが多い。

「頑張れる場所」を分けているもの

誰しも、時間を忘れて夢中になれる瞬間を経験したことがあるはずだ。子どもの頃に絵を描くことに没頭した記憶や、仕事で資料作りに集中しすぎて気づけば深夜だった経験など、形はさまざまだが共通しているのは「やらされている感覚がない」ということだ。この、力が最も自然に発揮される状態のことを「フロー」と呼ぶ。

フローの鍵になるのは、内発的な動機、つまり「やりたいからやっている」という感覚である。給料のため、評価のためといった外側の理由だけで動いているときは、どれだけ頑張っても長続きしにくい。反対に、内側から湧く動機と業務内容が噛み合っているときは、疲れていても不思議と満たされている感覚が残る。

たとえば同じプレゼン資料作りでも、ある人は数字を整理する作業に没頭でき、別の人はストーリーを組み立てる部分に夢中になる。どちらも「資料作り」という同じ業務でありながら、心が動く場所はまったく違う。自分がどの瞬間に時間を忘れるかを振り返ることは、動力源を知る手がかりになる。

転職を繰り返す背景には、この内発的な動機と仕事内容が噛み合っていないまま、条件面だけで職場を選び続けているケースが少なくない。年収や肩書きは満たされているのに、なぜか心がすり減っていくとしたら、それはフローに入れていないサインかもしれない。

頑張れないのは怠けているからではなく、動力源とずれた場所で無理に頑張ろうとしているからかもしれない。

動力源によって、喜びの源はまったく違う

動力源は大きく六つに分けて考えられており、それぞれ一文字で愛・楽・個・智・徳・才と表現される。たとえば人との関わりそのものに力をもらうタイプもいれば、変化や刺激そのものに反応して力が湧くタイプもいる。逆に、コツコツと積み上げる安定感の中でこそ落ち着いて力を発揮できるタイプもいる。

同じ「接客業が向いていない」という結論でも、その理由は人によってまったく異なる。ある人は「人と話すこと自体が苦痛だった」のかもしれないし、別の人は「単調な繰り返し作業に耐えられなかった」だけかもしれない。前者と後者では、次に選ぶべき仕事の方向性はまったく逆になる。

職場でも、同じ企画会議に参加していても、新しいアイデアを出す瞬間に生き生きする人もいれば、出たアイデアを整理してまとめる役割に安心感を覚える人もいる。どちらが優れているというわけではなく、力の湧く場所が違うだけである。この違いを知らないまま評価だけを比べてしまうと、お互いに息苦しさを感じてしまう。

子育ての場面でも似たことが起きる。じっとしていられず好奇心のままに動き回る子どもに対して、静かに座って学ぶことばかり求めてしまうと、子ども自身が「自分はダメな子だ」と感じてしまうことがある。動力源の違いを知っていれば、それは優劣ではなく個性の違いだと理解しやすくなる。

もうひとつの盲点、フィールドのズレ

動力源が同じでも、それをどう発揮するかという「方向」によって満足度は大きく変わる。この方向は革新・共鳴・継続・設計という四つに整理されており、経験の中で育っていく性質を持つ。動力源が土台だとすれば、フィールドはその力の使い道にあたる。

たとえば「才」という同じ動力源を持つ人でも、新しい仕組みをゼロから作ることに喜びを感じる人もいれば、既にある仕組みを丁寧に磨き上げることに喜びを感じる人もいる。前者を継続的な運用業務に置くと退屈さがつのり、後者を常に変化を求められる環境に置くと落ち着かなさがつのる。動力源だけでなく、この方向のズレも転職を繰り返す一因になり得る。

たとえば子育てにおいても、同じ「才」の動力源を持つ兄弟であっても、兄は新しい遊びを次々に考え出すことに夢中になり、弟は決まったルールの中で工夫を凝らすことに没頭する、というように表れ方が分かれることがある。方向性の違いを理解しておくと、比較して優劣をつけることを防げる。

実際の職場でも、同じ部署に配属された二人が正反対の評価を受けることがある。一人は新規プロジェクトの立ち上げで輝き、もう一人は既存業務の改善で輝く、というように、力の発揮のされ方は人によって驚くほど異なるからだ。転職先を選ぶときに、業種だけでなく、この方向性まで意識できると、選択の精度は大きく変わってくる。

転職そのものより、自分の動力源を知ること

転職を繰り返すことは、決して恥ずかしいことでも、意志の弱さの証明でもない。むしろ、自分に合わない場所に無理やり居続けなかったという意味では、自分を大切にしてきた証とも言える。ただ、同じ違和感を何度も繰り返さないためには、環境を変える前に、自分の動力源そのものに目を向けてみる価値がある。

次にどんな仕事を選ぶか迷ったとき、条件やイメージだけで判断するのではなく、「これをしているとき、自分は自然に力が湧くだろうか」と問い直してみてほしい。その問いに答えるためのひとつの手がかりが、生まれ持った動力源を知ることである。

実際に、転職を三度重ねたある人は、動力源を知ったことで初めて「自分が疲れる場所」と「自分が満たされる場所」の違いを言葉にできるようになったという。それからは求人票の条件だけでなく、日々の業務でどんな瞬間に力が湧くかを具体的に思い描いてから選ぶようになった。

転職を繰り返してきた経験そのものは、決して無駄ではない。むしろ、その違和感の積み重ねこそが、自分の動力源を知るための材料になる。焦らず、自分の中にある動力源にそっと目を向けてみることから、次の一歩は始まっていく。

この記事のまとめ
  • 転職を繰り返すのは意志の弱さではなく、動力源のズレのサインであることが多い
  • 環境だけを変えても、根本の違和感は形を変えて繰り返される
  • 時間を忘れて夢中になれる「フロー」の状態は内発的な動機から生まれる
  • 動力源が同じでも、力の発揮の方向(フィールド)が合っていないと満足感は得にくい
  • 次のキャリアを選ぶ前に、自分の動力源を知ることが遠回りに見えて近道になる