スマートフォンを開くたびに、誰かの成功や充実した毎日が目に飛び込んできて、なんとなく心がざわつく。そんな経験を持つ人は決して少なくない。今日はその落ち込みの正体と、そこから抜け出すためのヒントについて、じっくり考えてみたい。
なぜSNSを見ると気持ちが沈むのか
SNSに流れてくる投稿の多くは、その人の生活の中でも特に輝いている瞬間だけを切り取ったものだ。旅行先の絶景、昇進の報告、丁寧に整えられた部屋の写真。それらは実際の生活のごく一部でしかないのに、私たちはつい「みんなはこんなに充実しているのに自分は」と感じてしまう。
たとえば子育て中の母親が、笑顔の育児写真ばかりが並ぶアカウントを眺めて、自分の余裕のなさに落ち込んでしまうことがある。相手の投稿は数十枚撮った中の一番良い一枚かもしれないのに、こちらは自分の毎日の全体と比べてしまうのだ。
転職activities中の人が、同世代の知人の昇進報告や独立の投稿を目にして、自分だけ取り残されているように感じることもある。相手が何年もかけて積み上げてきた過程は見えず、結果だけが並んでいるので、余計に差が大きく見えてしまうのだ。
この構造に気づかないまま比較を続けると、疲れは静かに積み重なっていく。編集された他人のハイライトと、加工されていない自分の日常を並べて評価するのは、そもそも公平な比べ方ではない。人は無意識のうちに、目の前にある情報だけで相手の全体を判断してしまう癖を持っているのだ。
比較そのものが的外れになりやすい理由
もう一つ見落とされがちなのは、人にはそれぞれ力が湧く源、つまり動力源が違うという事実だ。LifeFlowではこれを「コア」と呼び、生まれ持った性質として生涯変わらないものだと考えている。性格診断のように後から変わるものではなく、もっと根っこにあるものだ。
営業でどんどん成果を出す友人を見て焦る人がいるとする。しかしその友人が力を発揮できているのは、人と関わり刺激を受け取ることに強い動力源を持っているからかもしれない。一方で、静かに一つのことをコツコツ積み上げることに力が湧くタイプの人が、同じやり方で無理に張り合おうとしても消耗するだけだ。
学生時代を思い出してみても、同じ勉強でも人によって得意な進め方はまるで違う。友人がノートを綺麗にまとめて記憶するのに向いていても、自分は問題を繰り返し解くほうが頭に入る、というようなことは誰しも経験があるはずだ。資格試験の勉強法一つとっても、同じ教材で同じように成果が出るとは限らない。
つまりSNSで見えている輝きは、その人の動力源にたまたま合った活躍の仕方であって、自分がそのまま真似すべき正解ではない。比較そのものが、はじめから条件の違う勝負になっていることが多いのだ。それに気づかず、自分に合わないやり方を無理に続けてしまうと、頑張っているのに手応えを感じられないという状態に陥りやすい。
6つの動力源という視点
LifeFlowでは動力源を大きく六つに分けて考える。人と心を通わせることに力が湧く「愛」、楽しさや場の空気を生み出すことに力が湧く「楽」、独自の視点や個性を発揮することに力が湧く「個」、知識や情報を深めることに力が湧く「智」、信頼や継続を大切にすることに力が湧く「徳」、結果や実利を生み出すことに力が湧く「才」。どれが優れているという話ではなく、単に燃料の種類が違うだけだ。
たとえば同じ職場に、丁寧な資料作りにやりがいを感じる人と、人前でのプレゼンに生き生きする人がいたとする。どちらも仕事はできているのに、評価される場面が違うだけで片方が落ち込んでしまうことがある。
兄弟姉妹でもこうした違いはよく見られる。片方が新しい遊びをどんどん考え出すのが好きなのに対し、もう片方は決まった遊びを何度も丁寧に繰り返すのが好き、ということがある。親が同じ基準で二人を比べてしまうと、どちらかが自分は劣っていると感じてしまいかねない。
SNSで目立つ発信をしている人の多くは、たまたま外に向けて表現しやすい動力源を持っているだけかもしれない。自分の動力源が違うのなら、同じ土俵で戦う必要はそもそもないのだ。動力源を知らないまま過ごすと、自分に合わない基準で自分を評価し続けることになり、無自覚に消耗が積み重なっていく。
発揮の仕方はフィールドで変わる
同じ動力源を持っていても、それをどう発揮するかは経験の中で育っていく。LifeFlowではこの方向性を「フィールド」と呼び、革新・共鳴・継続・設計という四つの方向で捉える。同じ「智」の動力源を持つ人でも、新しい理論を打ち立てることに燃える人もいれば、既にある知識を丁寧に人に伝えることに燃える人もいる。
たとえば同じ料理好きでも、新しいレシピを次々開発する人と、家族のために同じ料理を毎日丁寧に作り続ける人がいる。どちらも料理という同じ動力源から出発しているのに、フィールドが違うだけで見え方はまったく異なる。
子育ての場面でも同じことが起こる。新しい教材や方法を積極的に取り入れる親もいれば、決まった習慣を毎日淡々と積み重ねることを大切にする親もいる。どちらの子育ても間違っていないのに、SNSでは前者のほうが目立ちやすく、後者の親が自分のやり方に自信を持てなくなることがある。
SNSで見える活躍の多くは「革新」や「共鳴」のフィールドで目立ちやすいものだ。だから「継続」や「設計」で力を発揮するタイプの人が、自分の地味な積み重ねを過小評価してしまうことがある。フィールドは経験の中でゆっくり育っていくものなので、今の自分の発揮の仕方が最終形とは限らないという視点も、心を軽くしてくれる。
自分が夢中になれる瞬間を思い出す
LifeFlowでは、時間を忘れて夢中になれる状態を「フロー」と呼んでいる。誰かに評価されるからではなく、やりたいからやっている、という内発的な動機がその鍵になる。SNSの「いいね」の数字は他人の物差しだが、フローは自分だけの手応えだ。
子どもの頃、気づいたら何時間も絵を描いていた、虫を観察していた、というような記憶がある人は多いだろう。大人になってからも、仕事の中でふと時計を見て「もうこんな時間か」と驚く瞬間があれば、それは自分の動力源が動いているサインかもしれない。
趣味の家庭菜園に没頭している人が、誰にも見せるつもりのない小さな畑の手入れに休日を費やしている、というのも立派なフローの一つだ。SNSに投稿するかどうかとは関係なく、そこに没頭できているかどうかが本質であって、他人からの反応の有無はフローの価値を左右しない。
SNSを見て落ち込んだときほど、いったん画面を閉じて、自分が最近夢中になった瞬間を思い出してみるとよい。他人の輝きと自分のフローは、比べる必要のない、まったく別のものさしなのだ。外からの評価を求めて始めたことは長続きしにくいが、内側から湧いてくる興味に従った時間は、疲れよりも満たされた感覚を残してくれることが多い。
比較から抜け出す一歩、自分の動力源を知る
結局のところ、SNS疲れの多くは「自分の動力源を知らないまま、他人の物差しで自分を測ってしまうこと」から生まれている。自分がどんな動力源を持ち、どんなフィールドで力を発揮しやすいのかが分かれば、他人の投稿はただの情報になり、いちいち心を揺さぶられなくなっていく。
実際に自分の動力源を知った人からは、「あの人と自分は、そもそも輝き方の種類が違っただけだったんだ」と気づいて肩の力が抜けた、という声がよく聞かれる。比較をやめるというより、比較の土俵から静かに降りる感覚に近い。
ある会社員は、自分よりも目立つ後輩の活躍をSNSで見るたびに苦しくなっていたが、自分の動力源が「徳」であり、信頼を積み重ねるフィールドで力を発揮しやすいと知ってから、自分の地道な仕事ぶりを誇れるようになったという。派手さはなくても、自分にしかできない役割があると気づけたことが、大きな支えになったそうだ。
SNSを見て落ち込んでしまうのは、あなたが劣っているからではなく、単に見ているものと自分の動力源がずれているだけかもしれない。まずは自分の動力源を知ることから、静かに始めてみてほしい。
- SNSで見えるのは他人の生活のハイライトであり、公平な比較対象にはならない
- 人にはそれぞれ生まれ持った動力源があり、活躍の仕方が違って当然である
- 同じ動力源でも発揮する方向(フィールド)が違えば見え方も大きく変わる
- 他人の評価より、自分が時間を忘れて夢中になれる瞬間に目を向けることが大切
- 自分の動力源を知ることが、比較から静かに抜け出す一番の近道になる
