SNSを開けば同世代の活躍が目に飛び込み、職場では同僚の成果と自分をつい比べてしまう。そんな比較の苦しさは、性格を変えなくても、自分がもともと持っている力の源=コアを知ることで静かに軽くなっていく。

比べてしまうのは弱いからではない

人と比較して落ち込むと、つい「自分は心が弱いのだ」と責めてしまいがちだが、実はこれは多くの人に共通する自然な反応である。私たちの脳は、周囲との違いを察知することで自分の立ち位置を確認しようとする仕組みを持っていて、これ自体は生き延びるために備わった機能に近い。だから比較そのものをなくそうとするのは難しく、むしろ比較の仕方を変えていく方が現実的である。

たとえば会議で他の人が流暢に発言しているのを見て、自分は口下手だと落ち込む人がいる。だがその人がもし後で資料を丁寧に作り込むタイプだとしたら、発言の場面だけを切り取って比べること自体に無理があったことになる。比べている場面が、その人の得意な発揮のされ方と一致しているかどうかを、まず疑ってみる価値がある。

学びの場面でも同じことが起きやすい。資格試験の勉強で、短期間で一気に合格していく友人を見て焦る人は多いが、コツコツと積み上げる中で理解を深めていくタイプなら、そもそも合格までの道のりの組み立て方が違うだけかもしれない。ペースの違いを能力の差だと勘違いしてしまうと、必要以上に自分を追い詰めてしまう。

比較で苦しくなるとき、多くの場合は「同じ土俵に立っている」という前提を無意識に置いている。だがその前提自体が崩れていることに気づくだけでも、心の負担はかなり軽くなる。まずは、自分を責める前に「そもそも比べる場所が合っていたのか」と一度立ち止まってみたい。

苦しさの正体は「動力源の違い」を見落としていること

LifeFlowでは、人が生まれ持つ力の源のことを「コア」と呼んでいる。これは愛・楽・個・智・徳・才の6つに分かれ、性格ではなく生年月日から決まり、生涯を通じて変わらないものとされている。何に触れると力が湧き、何をしているときに自然と集中できるかは、このコアによって大きく違ってくる。

たとえば人との関わりの中で力が湧くタイプもいれば、一人で静かに考え込むことで力が湧くタイプもいる。前者が賑やかな会議で活躍し、後者が資料作りや分析で本領を発揮するのは、優劣の差ではなく、動力源の違いによるものだと考えると腑に落ちやすい。同じ職場にいても、力の発揮どころが違えば、評価される場面も自然と変わってくる。

家庭の中でも似たようなことが起きている。休日に料理を作ることで気持ちが満たされる人もいれば、部屋の片付けや家計簿の整理に没頭することで落ち着く人もいる。どちらが立派かという話ではなく、力が湧く場所がもともと違うだけであり、それを同じ物差しで比べてしまうと、片方がいつも足りない側になってしまう。

比較で落ち込むとき、私たちはたいてい「相手が得意なこと」と「自分が苦手なこと」を並べてしまっている。これはコアの違う相手の土俵で戦っているようなもので、最初から分が悪い比べ方になりやすい。動力源という視点を持つだけで、比較の土台そのものが変わってくる。

職場でよくある比較――同僚の成果と自分

職場での比較は特に苦しくなりやすい。たとえば同期の同僚が営業成績を伸ばし、上司に褒められている場面を見て、自分は評価されていないと落ち込む人は少なくない。だが営業という場が、その同僚のコアやフィールドに合っていた可能性は十分にある。

一方で自分は、地道な改善提案や仕組みづくりで静かに成果を出しているタイプかもしれない。目立つ数字にはならなくても、周囲の業務効率を底上げしているとすれば、それは決して劣った働き方ではない。むしろ会社にとっては欠かせない役割を担っていることも多い。

会議で流暢にプレゼンする同僚と、裏側で膨大なデータを分析し提案の精度を支えている自分を比べてしまうこともあるだろう。しかし成果として現れる形が違うだけで、どちらも組織にとって必要な働きであることに変わりはない。目に見える成果と、見えにくいが支えになっている成果は、そもそも比べる指標が異なっている。

比較の苦しさの多くは「同じ物差しで測られている」という思い込みから生まれる。営業成績という一つの物差しだけで自分を測るのではなく、自分の力がどこで発揮されているかを見直すことで、評価軸そのものが変わっていく。

比べるべきは他人の結果ではなく、自分がどこで力を発揮できるかという方向である。

子育てで起きる比較――きょうだいやママ友との違い

子育ての場面でも比較は起こりやすい。上の子は活発でリーダーシップがあるのに、下の子は物静かで一人遊びを好むと、つい「もっと積極的になってほしい」と感じてしまう親は多い。だがこれもまた、それぞれの子どもが持つ力の源が違うだけかもしれない。

たとえば友達と賑やかに遊ぶことで力が湧く子もいれば、静かに絵を描いたり本を読んだりする時間の中で満たされる子もいる。どちらが良い悪いではなく、力が湧く場所が違うのだと捉えると、親自身の焦りも和らいでいく。

習い事の発表会で、堂々と前に出て演奏する子と、緊張しながらも自分のペースでやり遂げる子を並べて見てしまうことがある。しかし親自身も自分自身のコアを通して子どもを見ていることが多く、自分が得意とする発揮の仕方を無意識に子どもにも求めてしまう場合がある。そのことに気づくだけで、子どもへの見方は少し変わっていく。

ママ友同士の会話でも、他の子の習い事の成果や成績を聞いて落ち込むことがある。しかし子どもの育ち方を一つの物差しで比べることは、そもそも難しいことに気づけると、少し肩の力が抜けていく。

発揮の仕方が違うと、同じコアでも見え方が変わる

LifeFlowではもう一つ、「フィールド」という考え方も大切にしている。フィールドとは、コアという力をどんな方向で発揮するかを示すもので、革新・共鳴・継続・設計の4つに分かれ、経験の中で育っていくものである。同じコアを持っていても、フィールドが違えば見え方は大きく変わる。

たとえば同じ「人と関わることで力が湧く」コアを持っていても、新しい企画を次々と生み出す方向で力を発揮する人もいれば、既存のチームを丁寧にまとめ続ける方向で力を発揮する人もいる。前者は華やかに見え、後者は地味に見えるかもしれないが、どちらも同じ動力源から生まれた発揮の形である。

デザインの仕事を例にとってもわかりやすい。次々と新しい表現に挑戦することで力を発揮する人もいれば、一つのブランドの世界観を長く守り育てることに力を発揮する人もいる。どちらも同じ「作ることに力が湧く」という動力源から生まれているが、フィールドが違うだけで働き方も評価のされ方もまったく異なって見えてくる。

この視点を持つと、隣の人の輝いて見える働き方を見ても「自分もああならなければ」と思わずに済むようになる。方向が違うだけで、優劣ではないと理解できるからである。

比べる代わりに、自分の動力源を知るということ

人と比べて落ち込む時間は、誰にとっても心をすり減らすものである。しかしその比較の多くは、そもそも土俵が違う相手同士を並べてしまったことによる、いわば見え方の誤差であることが多い。まずはそのことに気づくだけで、比較の苦しさは少しずつ和らいでいく。

そのうえで大切なのは、他人の動力源を真似ることではなく、自分自身のコアを知ることである。自分が何に触れると力が湧き、どんな時間を「フロー」として夢中になれるのかを理解できれば、他人と比べる必要そのものが薄れていく。内発的な動機から生まれる集中は、比較とは別の場所にある。

転職活動で自己PRの言葉が見つからず、周りの候補者と比べて自信をなくしてしまう人がいる。しかし自分のコアを知ることで、これまで何気なくやってきたことが実は自分の力の湧きどころだったと気づき、初めて言葉にできるようになったという話も少なくない。比較で埋もれていた自分の強みは、動力源という視点から見直すことで輪郭を取り戻していく。

比較をやめようと意志の力だけで頑張るのではなく、自分の動力源を知ることから始めてみる。それはLifeFlowが大切にしている考え方であり、遠回りのようでいて、実は一番確かな落ち込みからの抜け道になっている。

この記事のまとめ
  • 人と比べて落ち込むのは弱さではなく、脳の自然な反応である
  • 苦しさの多くは、コア(動力源)が違う相手と同じ土俵で比べていることから生まれる
  • 職場でも子育てでも、力が湧く場所が違うだけで優劣ではないと捉え直せる
  • 同じコアでもフィールド(発揮の方向)が違えば見え方は大きく変わる
  • 比較をやめる近道は、自分のコアを知り、内発的に夢中になれる場所を見つけることにある